こんにちは。
私たち「Dream Citrine(ドリームシトリン)」の前身は、2015年10月まで、静岡県磐田市を拠点として日本女子ソフトボールリーグ2部に参戦していた実業団「ドリーム☆ワールド」女子ソフトボール部です。
2015年のシーズン中盤まで、
国体静岡県予選にて日本リーグ1部加盟のチームを破っての初優勝、
全日本総合静岡県予選初の準優勝、その後の東海予選準優勝での全日本総合選手権大会初出場など、チームが成長していることに監督も選手も手ごたえを感じておりました。
ところが、その矢先での会社からの廃部通告は、選手たちに大きな衝撃と精神的ダメージとなりました。廃部通告の時期もシーズン後半の9月半ばのため、公式戦で精神面を維持することが非常に困難な状況になりました。
日本リーグ2部全日程終了後の10月半ばから、チームとして再出発に向けて様々な模索を重ねていくなかで、日本ソフトボール協会に次年度の日本リーグでの活動の有無を11月末日に申告しなくてはならず、存続はやはり断念しなければならないかもと何度も何度も諦めそうにもなりました。
静岡県のソフトボール協会やお世話になった皆さんも必死に受け入れ先を探してくださいました。私自身もなりふり構わず企業さんに片っ端から電話をかけました。
しかし、反応は全くなく、10月下旬には全国のお知り合いの方々にも連絡し、受け入れ先を探す協力をしていただきましたが、一向に状況は変わりませんでした。そんな中、愛知県の加藤さんが「最後まで諦めずに動こう」と励ましてくれ、毎日のように静岡県から愛知県に車を飛ばし、1日何件も企業さんを訪ねました。
半ば諦めかけていた日本ソフトボール協会締切日の1週間前、ある企業さんから「多少の協賛金と数人の雇用であれば検討します」とお声がかかり、取る物も取り敢えず愛知県に駆けつけました。
その企業さんのおかげで、そこから一気に協賛企業様2社と雇用企業様2社が決まり、再出発の望みが膨らみました。
静岡に戻り、幹部選手と話し合いをしたところ「チームの結束を高めるためには、寮でなくてもいいので、全員で同じところに住みたいです」という意見があり、そこも応援してくださる企業さんが見つけてくださって、全員が同じ建物で1部屋に2人・3人と分かれて住むことが可能となりました。
この段階でまだまだ年間を運営できる資金の確保もできておらず、練習できるグランドも全くなかったのですが、私達を受け入れてくれる雇用先の企業さんができたということ、全員が同じ建物に住めるということで私は愛知県に行く決断をしました。そして、選手達も快諾してくれたので早速来季に向けて準備を始めました。
期限ギリギリになりましたが、11月末日の書類提出を済ませ、12月の第3週に愛知県一宮市に全員で引っ越しました。
こうして、多くの皆様のお力添えによって、愛知県一宮市にて「
Citrineの意味:和名「黄水晶」という名前の通り、黄色~黄金色をした水晶
石言葉:太陽の明るさ、人と財を引き寄せる。潜在能力を引き出し、心身のバランスをとって暖かいエネルギーで包み込む力があると伝えられている。黄金の種を蒔く。
私たち「
※実業団チームとは選手全員が同一企業に勤務していること。
※クラブチームとは、18歳以上でチーム登録の県に在住または在勤していること。
引越しをする選手達 |
新天地で練習をスタート。選手に笑顔が戻ってきました。 |
年明け早々から2社に分かれて仕事開始 |
現場勤務の選手も頑張っています。 |
私たち「
2020年開催の東京オリンピックにおいてはソフトボールの復帰も有力視されております。チームとして1部リーグ昇格を目標とし、オリンピックに向けて代表選手がこのチームから選出されることも描いております。
私たち「
選手の個人負担もできるだけ軽減し、選手がソフトボールに集中し目標の1部リーグに向かって進むことができる環境を整えるためこのたび活動資金を募ることといたしました。
大変恐縮ではございますが、私ども「
主将 青野可奈
二塁手/右投右打 京都出身 京都明徳高 → 立命館大
こんにちは。DreamCitrine女子ソフトボールチーム主将の青野可奈と申します。 はじめに、この度、多くの皆様のお力添えがあり、この一宮の地でクラブチームとして新たなスタートを切れたことは、言葉では表しようのない喜びと、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
前身チームの廃部が昨シーズンの後半に決まり、試合経験の浅く、若い選手も多い中、直後は「来季はソフトボールができるのか」という不安が募りました。
しかし、「必ず譲渡先を見つけるから」という大國監督の言葉もあり、私たちはそれぞれ「来季も日本 リーグでプレーする!」という強い意志を固め、廃部決定以降もチームのアピールの場として、全力でプレーを続けました。オフに入り、監督が譲渡先探しで奔走する中、私たちが今できることを全力でやろうと団結し、例年のオフ以上に、練習に時間を割いてきました。
そういった時期を経て、今季も日本リーグでプレーできる環境を用意して頂いたと聞いた瞬間からは、大きな安堵感とともに、新天地での不安よりも、気持ちを切らすことなく練習してきた成果が出せる、希望や期待の気持ちでいっぱいです。
お力添えを下さった皆様に、賛同してよかったと思って頂くことが私たち選手の1番の使命であり、目標でもあります。そのためにも職場で責務をしっかり果たし、ソフトボールで地域の皆様に少しでも貢献し、地域とともに成長していけるよう、努力してまいりたいと思います。
チームを牽引する青野主将 |
2015年日本リーグ2部 ベストナイン児嶋選手 |
YKKから移籍の林選手 |
NPO法人 元気健康活動協会
理事長 加藤 由香
当協会は、愛知県一宮市を中心に「元気健康」をキーワードに子どもから高齢者までの人々に運動やスポーツの教室やイベントを行っています。その事業のひとつに元気ソフトボールアカデミーがあります。
私と大國監督は、元気ソフトボールアカデミーのスタッフを介して昨年出会いました。全日本総合東海予選が岐阜県で行われたときが初対面でした。2回目の会食の時には、ソフトボールの左投手の重心について話が盛り上がり、講習会の講師をお願いしました。講習会のときが3度目、それが8月のことでした。
日本リーグ2部の権利が消失してしまう危機
その後、10月末に大國監督から電話があり「廃部が決定しました。どこか受け入れてくれる会社はありませんか?」という内容でした。なんて突然、おまけに11月末までに日本ソフトボール協会に書類を提出しないと、今の日本リーグ2部の権利は消失してしまうということでした。
大國監督は全員の移籍先を探すことを考えていたようですが、3名退団、3名移籍、残りの12名は大國監督の下で日本リーグ1部を目指したいという意思表明をしてくれたので、何とか彼女達にソフトボールを続けさせたいという一心で受け入れ先を探していました。
私も微力ながら知人の協力を得て受け入れてくれる会社を探しましたが、なかなかよい反応は得られず苦戦していました。
期限まで残すところ15日となったときに、実業団としての受け入れは厳しいのでクラブチームとしての存続を目指そうと大國監督と話し合い方針を変更しました。とにかく就職先は二の次としてまずは協賛してくださる企業を当たろうと…。
体力・気力の限界ギリギリのところで
大國監督は、毎日のように静岡から愛知に車を飛ばし、数社訪問しては、夕方には静岡に戻る日々を送りました。疲れているだろうから泊まって行けばと言うと、「選手がノックをしてほしいと言っているので」と練習も休まず活動していました。きっとこの頃は体力・気力の限界ギリギリだったと思います。
締切期限7日前に奇跡が起き、見切り発車ではありましたがチーム存続のために愛知県に来ると監督が決断し、あとは選手が活動できる環境を整えるだけとなりました。
すべてはソフトボールで頑張っている選手のために
人生においてたった3回しか会ったことがない大國監督でしたが、選手のために必死になっている姿に心を打たれました。また、2020年の東京オリンピックにソフトボールが復活するかもしれない裏側で、日本ソフトボール最高峰の日本リーグ存続が厳しいチーム、すでに廃部になってしまったチーム、さらに、小中高のソフトボールチームの減少とどんどんソフトボール人口が減っています。
ソフトボールって魅力のあるスポーツで女子には向いていると思います。
ソフトボールの魅力や楽しさを伝えている当協会は「
選手は、ソフトボールができる幸せを感じながら日々練習に励んでおります。
練習場所や試合会場に足を運んでいただき、是非、選手のプレーを見てください。
練習が再開でき喜ぶ大國監督 |
練習前の円陣 |
練習前の挨拶 |
監督 大國香奈子
【プロフィール】
生年月日 1968年7月12日 47歳
出 身 香川県
出 身 校 香川県立坂出商業高等学校
【経歴】
・現役 1987年~2004年
・伊予銀行(愛媛県)→YKK四国(香川県)→伊予銀行(愛媛県)
1990年 全日本代表
1993年 東四国国体(地元開催)優勝
・指導歴 2001年~2015年現在
・実業団 YKK四国(香川県)→伊予銀行(愛媛県)→ドリーム・ワールド(静岡県)
2001年 11月 YKK四国の監督に就任 ※翌年12月廃部
2003年 伊予銀行のコーチに就任
2005年 12月 監督に就任
2006年 兵庫国体準優勝 ※宇津木妙子監督率いる群馬県を破る
2008年 2部リーグ優勝 1部リーグ昇格
2010年 1・2部リーグ入替え戦で日立マクセル(京都)に敗れ2部リーグ降格
2010年 シーズン終了後に監督退く
2012年 ドリーム・ワールドコーチ就任
2013年 ドリーム・ワールド監督就任
2015年 ドリーム・ワールド 今シーズン終了で廃部決定
・全日本関係
2004年 U23日本代表コーチ(任期1年)
2006年 日本代表Bチームコーチ(任期1年)
2007年 日本代表Bチームコーチ(任期1年)
2011年 全日本チームコーチ兼総務(任期1年)
※2015年 静岡県教育委員会より「子供の体力向上推進委員会」の委員委嘱
(1) 実業団チームからクラブチーム登録への経緯
・静岡県磐田市の株式会社ドリーム・ワールドが2009年に地域密着型クラブチームを創部。
・同年12月に、当時JSA1部リーグのレオパレス21(東京都)の廃部にともない、所属選手11名受け入れ
・2010年より公式にJSA2部リーグに加盟し本格的に実業団活動を開始。
・2015年9月半ばのシーズン途中に来期は廃部と会社より告げられる。
2)過去の実績
・毎年、小・中学生を対象とするソフトボール教室や地域同好会を含めた、チーム主催の大会を開催
・2014年より静岡県教育委員会主催のソフトボール教室に大國香奈子監督が講師として積極的な参加。
3)日本2部リーグ成績 監督就任後、業績不振のため積極的な選手勧誘できない状況下で活動。
・2013年 2位 10勝2敗
・2014年 4位 6勝6敗(総合9位)
・2015年 4位 6勝6敗(総合8位)
≪県大会等≫
・国体予選 2015年 初優勝(1部リーグ加盟のNECを破っての初優勝)
・全日本総合予選 2015年 準優勝(初)その後の東海予選で準優勝
全日本総合選手権大会に初出場(岩手県花巻市で9月中旬開催)